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納富介次郎先生の子どもたち
入力日
2021年9月7日
内容
先だって行われた地域みらい留学説明会で、本校の歴史について説明する機会がありました。有工がなぜ唯一無二なのか、と説明するのに初代校長である納富介次郎先生の話は欠かせません。
佐賀県小城市出身の介次郎は16歳で佐賀藩士の納富六郎左衛門の養子になります。その後、画業を学び、高杉晋作らと上海に渡り貿易について学を深めます。
いま、テレビの大河ドラマでは渋沢栄一が万博から持ち帰った知見を元に明治時代以降の日本に新しい商業の形を作る姿が描かれていますが、納富は明治6年のウィーン万博や明治9年のフィラでルフィア万博で日本の工芸品を世界レベルで交易するのには伝統工芸の後継者育成が不可欠と確信します。
これが、日本初の工業高校である金沢工業学校(現在の石川県立工業高校)の創設につながります。その後、富山県工芸学校(現在の富山県立高岡工芸高校)、香川県工芸学校(現在の香川県立高松工芸高校)を創設、すべて初代校長として学びの基盤を整えます。最後に手がけたのが地元佐賀の佐賀県立工業高校有田分校(本校)でした。
実学を重んじる介次郎の精神が今も生きている有田工業が他の学校と異なるのは創立のルーツが大きいと思います。この四校は本校創立100周年を機に姉妹校締結を行い交流を続けています。
就職試験を直前に控え、多くの生徒たちが準備に余念がありません。ものを創る大切さを学んだ納富チルドレンたちが社会で活躍できるよう先生は今も見守ってくださっているに違いありません。
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