尚芳の活躍に思いをはせる -範蔵さん祭りで顕彰-
入力日
2025年1月12日
閲覧数
297
1月12日は花島公民館において山口尚芳をお祭りする催しがありました。
今年は尚芳生誕187年、没後131年。
毎年この日に、尚芳の生誕地にほど近い花島公民館で読経と記念講演が行われています。
山口尚芳は皆さんもご存じのとおり、岩倉遣欧使節団の全権副使として参加し、日本の近代化に活躍した人です。
もともとこの使節団は大隈重信を全権大使にした“大隈”使節団となるはずだったのですが、様々な要因でそれがかなわず、大隈の代わりに佐賀にいたころから学友、そして同志として信頼されていた山口尚芳が参加することになったようです。
本日のお祭りの冒頭、小松政市長は、「山口尚芳の認知度は地元小学生でも高い。今年は『佐賀の乱』を『佐賀戦争』と改めるなど、江藤新平再評価の動きもあり、それとあわせて当時改革のキーマンであった尚芳の功績が一層広まることを期待している」と挨拶されました。
講演は武雄市図書館歴資料館の近藤貴子氏がなさいました。
近藤氏は「尚芳は東京で永田町とばれる西郷邸や大久保利通の屋敷の近くに住んでいたこと」、「視察先のドイツでは他国以上に厚遇され、鉄血宰相ビスマルクから『今や弱肉強食の時代。富国強兵に努めることこそが重要』と当時の日本に対する的確な助言をもらっていたこと」などを紹介してくださいました。
また、明治29年5月6日の佐賀自由新聞(現在の佐賀新聞)には、大隈が30年ぶりに佐賀に戻り、鉄道で武雄入りした際のコメントが掲載されており、そこで大隈は「学友山口尚芳の郷里武雄はとても感慨深い土地だ」といった趣旨の話をしていることをお話しくださいました。
いずれにしても、山口尚芳がいかに活躍していたが伺え、大変興味深いものでした。
武雄高校のみなさんも、こうした地元の偉人の活躍に思いをはせるとともに、ふるさとへの誇りをもって勉学に励み、社会に羽ばたいてほしいと思います。
なお、「江藤新平・島義勇復権・顕彰式典記念シンポジウム」は2月1日(土)佐賀県立佐賀城本丸歴史館で15時から開催されます。
興味のある人はぜひ参加してみてください。