「ヤスマキ」
入力日
2019年10月4日
内容
旧長崎街道(町道中央線)の途中、大黒町に「ヤスマキ」と呼ばれる場所がある。特定の建物や石造物ではなく、場所そのものを指す。伝説は「黒髪山の大蛇退治に向かう源為朝一行が住民に献上された感謝の酒に感激し、この地に幕を張って酒宴を催したことからヤスマキと呼ばれるようになった」つまり「夜酒幕」→「やしゅまく(?)」→「ヤスマキ」が語源であると伝えている。
別の伝説では院宣使に随行した天野遠景が同じく献上された酒に喜び流鏑馬を催して酒宴を開いたことが起源とも伝えているが、共通点が多いことから、何らかの事実の痕跡を伝えるものなのかもしれない。
そんなヤスマキ伝説とは直接関係がないが、ここには江戸時代の石造物が多数集まって江戸時代の民間信仰の有り様も伝えている。その中に特に興味を引くものが2基あり、「宝暦十四年」と「明和元年」の文字が見えますが、どちらも西暦では1764年にあたる。宝暦十四年はその6月に明和元年と改元されたが、記された月の異名から改元前後であることが確認でき、情報伝達に時間がかかったと思われがちな江戸時代の意外な一面を知ることができる。
文化財専門員:ケンジロウ
閲覧数
36,842