神功皇后の百枚田
入力日
2019年10月6日
内容
1500年ぐらい前の仲哀(ちゅうあい)天皇の頃のことである。熊襲(くまそ※南九州で勢力を持っていた種族)の子孫で大鷹渠師(おおたかきょすい)と小鷹渠師(こたかきょすい)という悪者がいた。村人を苦しめたり、旅の者を困らせたりしていた。そして、とうとう朝廷の言うことも聞かなくなったので、天皇は、この悪者をうつことにした。しかし、戦いの途中で病気のため亡くなられた。そこで、神功皇后(しんぐうこうごう)がかわって戦いに加わり滅ぼした。そして、大鷹渠師と小鷹渠師の一族を石崎の山に葬った。その戦いに使われた剣を箱に納め山の上の鎮護神(ちんごしん※国を守る神)を祭った。
すると不思議なことに、そばにあった大きな楠のふし穴から水が流れ出した。村人は、この水で天之狭田(あめのさだ)に形どった百枚の田を切り拓いた。これを神功皇后の百枚田といった。
今は何も残っていないが、白石警察署大町幹部派出所の北側近くではないかと思われる。
~「大町町の伝説」島ノ江寛 著 1998 協文社印刷より
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