若木町の紹介

 私たちが住む若木町は佐賀県武雄市の北部八幡岳の西のふもとに広がる純農村で、537世帯、人口1832人ほどの小さな町です。(H24.10.30現在)
 キャンプ場やゴルフ場、工業団地もあります。八幡岳の名前の由来はわかりませんが、その昔、源為朝がこの地に滞在した時の館跡(やかたあと)は『御所(ごしょ)』という地名で今も残っています。 
 町の人たちは毎年11月23日(勤労感謝の日)に本部ダムで『湖水祭り』をして楽しんでいました。主なイベントとして『ロードレース大会』、『日本一を食う会』などが行われていました。
 若木町の自慢は日本で5位の大きさをほこる楠(くすのき)です。樹齢三千年。町の人たちは『おおくす』と呼び、町のシンボルになっています。現在、大楠公園として整備されてたくさんの観光客が訪れています。一度見物に来て下さい。
《 川古の大楠~国天然記念物 》
川古の大楠  若木町がほこるものとして、まずあげられるのが、左の写真にある大楠です。樹齢は三千年以上と推察されています。(環境庁巨樹巨木林調査により全国で第五位に指定される) つまり、はるか昔からこの若木の地、さらには佐賀県に住むわたしたち祖先を見守ってきたことになるわけです。
 この幹に耳を当てると、遠い昔への時代へと誘うような鼓動が伝わってきます。幹の太さは、小学生が28人手をつないでやっと届くほどの長さです。これを単位に換算すると、21メートルにもなります。(高さは25メートル) しばらく前、幹の南西部には大きな空洞がありましたが、保護の措置がなされ、現在のように雄々しくそびえ立っています。
《川古の楠幹彫り観音立像~武雄市重要文化財》
川古の楠幹彫り観音立像

 川古の大楠の隣にあるのが、武雄市重要文化財に指定されている観音立像です。この立像は、もともと大楠の幹に彫り込まれていたのですが、剥落して現在のお堂に置かれています。
 ただ、この立像には由来があり、行基和尚がこの若木の地で大楠に彫っていったと伝えられているところに興味を引かれます。さらに、所在していたともろが国の天然記念物の幹であったということに価値があります。

《 伏尸(ふしし)神社と『松尾静麿』氏 》
伏尸神社と松尾静麿
 左の写真は『伏尸(ふしし)神社』です。その昔武内宿禰の身代わりとなって死んだ壱岐国の真根子を祀った神社です。伏尸(ふしし)というのは、剣に死した屍の意味、または武内宿禰が自分の身代わりとなって死んだ真根子の屍に伏して悲しんだからともいわれています(武雄市史より)
 右の写真は若木が生んだ郷土の偉人『松尾静麿』氏です。日本航空の初代社長で日航を世界的な航空会社に育て上げました。現在の校歌の歌詞をつくっていただきました。
《 永野の風穴 》
永野の風穴  武雄市若木町の永野地区に新たなミステリースポットとして有名になってきた場所です。テレビ等でも紹介されるようになってきました。
 風穴までの道や駐車場(永野公民館横)も整備されており、新たに看板も設置されました。

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