学校の歴史
昭和2年3月31日 |
鳥栖市ほか4か町村組合立高等女学校が設立される。 |
昭和4年4月1日 | 県に移管され、佐賀県立鳥栖高等女学校と改称される。 |
昭和23年4月1日 | 学制改革により、佐賀県立鳥栖高等学校と改称される。 |
昭和27年4月1日 | 商業科1学級(定員40名) |
昭和28年4月1日 | 商業科2学級(定員100名) |
昭和39年4月1日 | 商業科4学級(定員220名) |
昭和40年4月1日 | 商業科5学級(定員275名) |
昭和46年4月1日 | 商業科が分離独立、佐賀県立鳥栖商業高等学校が平田町に設置される。
開校当時の校舎全景。体育館がまだありません。 |
昭和46年4月8日 | 第1回入学生225名 |
昭和47年3月31日 |
第1回卒業生232名 管理棟北側より。昔は玄関が2階でした。 計算実務(珠算・そろばん)の授業風景です。 |
昭和59年4月1日 |
商業科6学級(定員270名)となる。 東側の一教室分がまだありません。 文化祭の一コマ。このスタイルが流行りでした。 |
昭和60年3月20日 | 普通教室棟増築竣工 |
昭和60年4月1日 | 文部省及び県教育委員会より、昭和60・61年度高等学校生徒指導研究推進校の指定を受ける。 |
昭和61年3月20日 |
電算棟竣工 3F JR(この頃は国鉄)からの登校風景。 |
平成元年4月1日 | 商業科4学級(定員180名)、流通経済科2学級(定員90名)となる |
平成2年4月1日 |
商業科5学級(定員225名)、流通経済科2学級(定員90名)となる 現在、情報管理棟があるところに木が生い茂っています。学校前の道路も整備中のようです。 |
平成5年4月1日 | 文部省及び県教育委員会より、平成5・6年度奉仕等体験学習研究推進校の指定を受ける。 |
平成5年 |
甲子園初出場 |
平成6年4月1日 | 商業科5学級(定員225名)、流通経済科1学級(定員45名)、情報管理科(定員45名)となる。 |
平成6年12月3・4日 |
第1回鳥栖商デパートを開催する。 |
平成8年3月15日 | 情報管理棟竣工。 |
平成8年4月1日 | 商業科5学級(定員200名)、流通経済科1学級(定員40名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成8年8月2日 |
全国高校・大学ダンスフェスティバル文部大臣賞受賞 |
平成8年10月1日 | 鳥栖商業会館新築竣工 |
平成9年4月1日 | 商業科4学級(定員160名)、流通経済科1学級(定員40名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成9年10月29日 | 普通教室棟内外部改造工事竣工(第1期工事) |
平成10年4月1日 | 商業科5学級(定員200名)、流通経済科(定員40名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成10年10月29日 | 普通教室棟内外部改造工事竣工(第2期工事) |
平成11年2月26日 | 体育館改修工事竣工 |
平成11年4月1日 | 商業科4学級(定員160名)、流通経済科(定員40名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成11年10月27日 | 普通教室棟内外部改造工事竣工(第3期工事) |
平成12年3月27日 | グランド整備工事竣工 |
平成12年12月25日 | 産振棟内外部改造工事竣工 |
平成13年8月4日 |
全国高等学校IT・簿記選手権IT部門全国優勝 |
平成15年1月7日 | 管理・特別教室棟内外部工事竣工 |
平成15年4月1日 | 商業科3学級(定員120名)、流通経済科(定員40名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成15年 |
甲子園ベスト8 |
平成16年4月1日 | 商業科と流通経済科をくくり募集とし、商業科4学級(定員160名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成21年4月1日 | 商業科と流通経済科をくくり募集とし、商業科3学級(定員120名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成22年4月1日 | 商業科と流通経済科をくくり募集とし、商業科4学級(定員160名)、情報管理科(定員40名)となる。 |
平成23年11月17日 |
全国高等学校生徒商業研究発表大会 最優秀賞 |
平成24年4月1日 | 県教育委員会より、先進的ICT利活用教育実証研究校の指定を受ける。(平成24年度より数年度) |
平成24年3月14日 | ユニバーサルデザイン化工事竣工 |
平成29年4月14日 | 東グラウンド擁壁改修工事竣工 |
平成30年4月1日 | 商業科と流通経済科をくくり募集とし、商業科3学級(定員120名)、情報管理科(定員40名)となる。 |