校歌

作詞 吉田絃二郎 作曲 夏目藤一郎

 

1.筑紫の原に春たけて
  英雄頭をめぐらせる
  三軍の功も夢なれや
  古城はるかにそそり立つ
  聖き伝統の学び舎に
  鉄打つ音の鏘々と
  国の富強を固めゆく
  われらがほこりをおもふかな

2.松の葉かげもいとすめり
  多布施の川の水清く
  高き使命を身に負へる
  健児集いて朝夕に
  工の業の道ふかく
  学び究めていつしかに
  かがよう国の光なる
  われらがほこりをおもふかな

3.至誠剛健天山の
  真白き雪をこころにて
  海原遠く有明に
  流るる水の絶え間なく
  見よ葉隠れの男の子等の
  鉄打つ腕颯爽と
  国の運命を担ひゆく
  われらがほこりをおもふかな

 

 

母校校歌作詞者 吉田絃二郎の足跡


吉田絃二郎の生涯(校歌)←クリックすると詳細が見れます。

経  歴

 明治19年(1886)神埼町莞牟田に生まれる。4歳の時、吉田家は佐世保に転居。八幡尋常小学校卒業後、ミッションスクール東山学院に編入学し、後に中退。明治33年佐賀工業学校に入学。36年首席卒業。明治39年早稲田大学英文科入学同年対馬要塞砲兵大隊に入隊。42年少尉任官後除隊。44年早稲田大学英文科卒業大正4年母校の講師。大正13年教授となり、昭和9年退任まで18年間英語・英文学を講じた。その間人生と文学による清純にして高潔な情熱は真実詩人として学生の尊敬と信頼を集めた。

 一方作家としても、対馬を舞台とした小説「島の秋」で不動の地位を得た後、大正後期より昭和初期にかけて、日本近代文学の代表的作家として、随筆・小説・戯・戯曲・童話・評論等々広い分野にわたって、名作を著し、それは当時の教科書にも多く掲載され著作は240冊にも及んだ。つねに、自然と人を愛し、その融合の世界を深く見つめながら永遠に変わらぬ宇宙本来の姿を求めつづけた作風は、悲哀の中にもあたたかな感性によって表現された作品の底に一貫して流れる鋭い知性と真人間としてのその誠実さは一世を風靡する文学の世界を形成した。「故郷を離れ50年。しかし、東京はいつまで経っても異郷である。故郷を思えば老いの心も青年のように疼く。」という切々とした望郷の言葉を残し昭和31年(1956)70歳で病没す。

 

 


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