学校長のあいさつ

 こんにちは。令和4年5月2日に着任いたしました、本校校長の本村 一浩(もとむら かずひろ)と申します。3月に大病を患って病気休暇を取り、ひと月遅れの着任となってしまいました。本校を支えて下さる地域住民の皆様、保護者の皆様、児童の皆さんには、大きな心配とご迷惑をおかけしました。
 5月上旬、2年生の女の子から素直でまっすぐな瞳で「もう治ったのですか?」と聞かれました。正直、まだ、病気が「完治した」とは言えない状態で、主治医が「仕事に戻ることを認めて下さった」というのが実情です。再びこのようにご心配やご迷惑をかけることのないよう、自分の体をいたわりつつ、公務に励んでまいりたいと思います。
 さて、本校は、明治23年創立の歴史ある学校です。令和2年に創立130周年を迎えました。明るく素直で、伸び伸びとした子供たちと、使命感に燃えた教職員のみんなで、「元気いっぱい 自分から学び ともに高め合う 西与賀っ子」の学校教育目標の下、居心地のいい学校をつくろうとがんばっています。学校教育目標は以下のように3点変更し、5月26日の学校運営協議会でご承認いただきました。
 よく「知・徳・体のバランス」と申しますが、①本校の目標に「体」の文言がなかったので、「元気いっぱい」を付加しました。また、②「知」の部分で、「自ら学び」という文言は、低学年児童にはやや難しい言葉かと思い、「自分から学び」と変更しました。そして③「徳」の部分、「共に生きる」は、コロナ禍の今だからこそ「共に高め合う」と変更したところです。同じ学校に集う者同士、いい相乗効果を及ぼし合いながら伸びていってほしいです。本校で学んだ子供たちが、超スマート社会”Society 5.0”において賢く、優しく、たくましく生き抜いていけるよう、全職員の叡智と労力を結集して教育活動に当たります。

 

〈本校校区について〉
本校校区である西与賀町は、佐賀市の南西部に位置し、県道相応(そうおう)線を中心にして、南北に細長く、西側の町境には、本庄江が流れ、その東側に西与賀町は広がっています。校区の南端部は、“干満の差日本一”、“我が国有数の海苔養殖地”である「有明海」に面しております。有明海に注ぎ込む本庄江沿いには、海苔養殖に従事されている方も多く、また、干拓等により広がる肥沃な佐賀平野の水田では、稲作も盛んに行われております。   
以前は、この本庄江に魚などを積んだ船が往来していたことから、この川の東岸には、「竹輪(ちくわ)」や「蒲鉾(かまぼこ)」などの製造業を営む方も多くおられました。しかし、現在は、その数も大分少なくなり、数件となっています。
 また、昔この地域には、船が往来していたこともあり、歴史上の要人たちが、この地から乗船した記録もある、日本史上の起点となった町でもあります。
道路・住宅の状況を見てみると、校区の北部地域は、昭和46年のバイパス道路の開通以来、都市化現象の傾向にあります。団地や分譲住宅が多くあり、居住するには素晴らしい環境です。現在、校区の南部地域に、福岡県の大川市・柳川市から佐賀県鹿島市を結ぶ有明海沿岸道路の整備も進められているところであります。
 地域の教育力は高く、多くの方々が学校および子供の教育に強い関心をもたれ、よって地域の方々は学校に対し、非常に協力的です。学校の教育活動はもちろん、児童の登下校の安全面でもご尽力いただいています。平成29年度からは、学校運営協議会が立ち上がり、コミュニティ・スクールとして新たな歩みを始めました。地域住民と保護者、学校が一つになり、「開かれた教育課程」の下、「チーム西与賀」として子供を育む素晴らしい環境にあります。どうぞよろしくお願いします。

 

 

令和4年5月27日 学校運営協議会を受けて  

学校長  本村 一浩


Page
TOP