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佐々木瑠璃さんの話
入力日
2021年2月1日
内容
明日2月2日は三年生にとって最後の全校朝会
しかし、今年度は新型コロナウィルスの感染対策のために
一度も全校そろっての全校朝会ができませんでした。
明日は「自分の命を輝かせ 夢を実現しましょう」というテーマで講話をします。
内容は以下通りです。
3月11日 午後2時46分。
瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、お母さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」
家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」 体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。
親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」
お母さんは、避難所となっていた市民会館で被災した人のお世話をしようとした時、津波にのみこまれた。
それから瑠璃さんは空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
29日にお母さんの火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、お母さんの宜子さんが好きなザードの「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。
2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、お母さんは必ず声をかけてくれた。
身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。
最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。
「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」
将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」
お母さんや大事な家族を奪った海へ向かって 瑠璃さんは「負けないで」を演奏しました
おかあさん私は元気だから安心して 私は強く生きていく という誓いの気持ちもこめられていました。
私たちはこの震災を通して 生きたくても生きることのできない命があることを教えられました。
また、大切な家族や友人を失っても その人たちの命の分まで強く生きていかなければと
自らを奮い立たせ、一生懸命に生きていこうとする 人がいます
だからこそ 私たちは、命をどう使うかを考えなければなりません
自分の命を自ら絶ったり、人の命を簡単にあやめるようなことは絶対にあってはなりませんし
人の命も大切にしなければならないと思います。
どうか今後も勉強や部活動に一生懸命に取り組んで
自分の命を輝かせ 夢を実現しましょう
校長 堤 賢二
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